まちかど情報室の品物専門ショップ店長の書道ブログ
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豊後高田市ホーランエンヤの由来
豊後高田市のホーランエンヤは、数年前までは
毎年元旦に行なわれていた。それより以前は
旧正月の元旦に行なわれていたらしい。
この行事の名前であり、掛け声の「ホーランエンヤ」
の由来は、『宝来栄弥』であるという説と
『蓬莱へ、蓬莱へ』が変化したという説がある。
出発時間は、潮の満ち干で毎年違う。
花火を合図に磯町の恵比須宮前から漕ぎ出した
宝来船は、数艘のお供の船を引き連れて
一旦下流の金毘羅宮に詣で、その後再び
上流に向かい、両岸を行ったり来たりしながら
若宮八幡神社近くまでの約2キロを約1時間
かけて漕ぎ上がる。
若者たちは、本殿において海上の安全と豊漁を祈願した。
宝来船は大漁旗で飾られ、市長や県会議員などが
乗り込む。締め込み姿の若者たちが「ホーオオ
エンヤエンヤ ホーランエンヤ エンヤサノサッサ
ヨイヨイヨイトセ」の掛け声
とともに艪を漕ぎ、乗り込んだ人たちが見物人に向かって
紅白の小餅をまく。見物客からお神酒が差し出されるたびに
川幅100メートルほどの桂川を右岸へ左岸へジグザグに
船を進ませ、若者が船から川の中へ飛び込み
お神酒を受け取りに行く。
舳先と艫では、太鼓と掛け声にあわせて、2人の少年が
赤いきものを着て、恵比寿・大黒踊りなどを踊っている。
ホーランエンヤは、江戸時代に豊後高田が島原藩の
領地だった時代に、年貢米を積んで出港する船の
安全を祈願して始まった行事であると伝えられ
約300年の伝統がある。やがて、磯町の漁師を中心とした
海上安全と豊漁を祈願する行事となり
昭和53年には、大分県選択無形民俗文化財に
なった。下の写真は2009年1月11日のホーランエンヤです。

毎年元旦に行なわれていた。それより以前は
旧正月の元旦に行なわれていたらしい。
この行事の名前であり、掛け声の「ホーランエンヤ」
の由来は、『宝来栄弥』であるという説と
『蓬莱へ、蓬莱へ』が変化したという説がある。
出発時間は、潮の満ち干で毎年違う。
花火を合図に磯町の恵比須宮前から漕ぎ出した
宝来船は、数艘のお供の船を引き連れて
一旦下流の金毘羅宮に詣で、その後再び
上流に向かい、両岸を行ったり来たりしながら
若宮八幡神社近くまでの約2キロを約1時間
かけて漕ぎ上がる。
若者たちは、本殿において海上の安全と豊漁を祈願した。
宝来船は大漁旗で飾られ、市長や県会議員などが
乗り込む。締め込み姿の若者たちが「ホーオオ
エンヤエンヤ ホーランエンヤ エンヤサノサッサ
ヨイヨイヨイトセ」の掛け声
とともに艪を漕ぎ、乗り込んだ人たちが見物人に向かって
紅白の小餅をまく。見物客からお神酒が差し出されるたびに
川幅100メートルほどの桂川を右岸へ左岸へジグザグに
船を進ませ、若者が船から川の中へ飛び込み
お神酒を受け取りに行く。
舳先と艫では、太鼓と掛け声にあわせて、2人の少年が
赤いきものを着て、恵比寿・大黒踊りなどを踊っている。
ホーランエンヤは、江戸時代に豊後高田が島原藩の
領地だった時代に、年貢米を積んで出港する船の
安全を祈願して始まった行事であると伝えられ
約300年の伝統がある。やがて、磯町の漁師を中心とした
海上安全と豊漁を祈願する行事となり
昭和53年には、大分県選択無形民俗文化財に
なった。下の写真は2009年1月11日のホーランエンヤです。

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